【EFT】実在する?タルコフ市 元ネタを考えてみた
こんにちは。
だるキャンです。
今回はタルコフ市が実在するのかについて少し考えてみたいと思います。
公式の設定はこんな感じ

タルコフ市とは-Norvinsk(Норвинск)州の経済特区
Norvinsk(Норвинск)州の場所は-ロシアヨーロッパ地域北西にある
日本語で確認できる情報としてはこれぐらいでしょうか。
少ない..
ちなみにロシア語のWikipediaを見るとこのような情報もありました。
“街の名前は、街の東に河口を持つ川(長さ38km、フィンランド湾に注ぐ)にちなんでつけられたタルカという水詞に由来している。バルト海に属するフィンランド湾の右岸、カレリア地峡の南側に位置する都市。タルコフ市の人口は949.3千人(2008年)。60年代半ばになると、将来の街の敷地内に大規模な楽器製造会社や無線電子防衛会社が建設され、ZATOの開発の基礎となった。“
ZATO(ЗАТО)とは閉鎖都市、つまりは関係者以外には解放されていない都市を指しており、主に原子力産業の拠点や軍事基地などが指定されていました。
ちなみに、現在のロシアにもこのように関係者以外入ることができない都市はあるので驚きですよね。
つまり情報をまとめると以下のようになります。
・ロシア北西部にある街
・カレリア地峡(フィンランド湾とラドガ湖の間)
・フィンランド湾の右岸にある
・街の東側に38kmの長さを持つ川の河口がある=ネヴァ川?
・従来はЗАТО(閉鎖都市)だった
なるほど分からん
地図で見てみましょう

情報を基にするとロシア第二の都市、サンクトペテルブルグの周辺にあることが分かります。
次にフィンランド湾に注ぐ川の河口の西側にあるという情報と照らし合わせて地図を見てみるとネヴァ川という大河が注ぐサンクトペテルブルグの海岸辺りになるのかもしれません。

しかしながら、サンクトペテルブルグがZATOであったことは無いのでタルコフ市は完全な仮想都市であることは間違いないでしょう。
様々なロシアンチックな場所の概念を寄せ集めて設定した都市なのかと思います。
実際のサンクトペテルブルク

帝政ロシア時代の首都でピョートル大帝が開いた街です。
ソ連時代はレニングラードと呼ばれ、ドイツ軍による包囲攻撃によって大規模な飢餓が発生しました。
現在では、歴史と文化の中心としてモスクワに次ぐロシア第二位の都市となっています。

カザン大聖堂

凍結したネヴァ川

聖イサアク大聖堂
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